おかべたかしの編集記

執筆・編集の記録とお知らせと。

吉田松陰と高山彦九郎をつなぐもの

風雲児たち ガイドブック 解体新書』ご好評いただきありがとうございます。

風雲児たちガイドブック 解体新書 (SPコミックス)

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 さてこの本を出すことによって、多くの人に気づいてもらいたかった点のひとつが、吉田松陰と高山彦九郎の関係です。吉田寅次郎(松蔭)は、今の大河ドラマ『花燃ゆ』でも描かれていますが、彼がなぜあそこまで〝突っ走る〟ことができたのでしょうか。

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これは、黒船に密航しようとした後、計画が頓挫するとすぐに出頭する寅次郎。なかなかこんなことできない。

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『花燃ゆ』でも、野山獄の話が出ていましたが、あそこでも寅次郎は学ぶことをやめない。まさに死に物狂いで学び続けるのです。その根底には、揺るぎない信念があるのでしょうがそれは何か? その源は何か? なぜ寅次郎は、そこまで突っ走れるのか。その答えのひとつが『風雲児たち』のこのコマにあると思うのです。

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僕も『風雲児たち』を読むまで知らなかったのですが、吉田〝松陰〟というのは、高山彦九郎の諱(いみな・死者につける名前)なのです。つまり、寅次郎は高山彦九郎をとても尊敬していたのですが、この人物がいかなる者なのかは、あまり知られていない。

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高山彦九郎について多くの人が見知るのは、この京都・三条京阪駅にある銅像でしょうか。待ち合わせスポットにもなっていて通称「土下座像」と親しまれてはいるものの、どんな人なのはかは、おそらく多くの人は知らないでしょう。そんなの人物について『風雲児たち』では、細かく描写されているのですが、それでも一言で「どんな人物か」はいい表しにくいのです。

《多くの学者たちと交わって成長を遂げ尊王精神を説いて回ることを人生の目的に据えるも、父が闇討ちにあって殺され、その仇を取ることに執念を燃やす。しかしこの仇討ちに挫折すると、京都を学問の都にしようと興学運動を起こすも失敗。ならばと、貧しい民を救うために救民運動を始めるのだが、その間、故郷で一揆が起これば郷士の身でありながら農民側で参加。また、祖母が八十八歳で死去すれば、以降三年間喪に服すなど、本人としては大変忙しいのだろうが、他人から見ればよくわからない日々を送った。》

僕は、彼の半生をこう紹介しています。その後、皇室における吉兆を西国に伝える放浪の旅に出るのですが、まあ、よくわからないのです。ただ、なんとなく寅次郎の人生にもシンクロしてくるのが「何もなさなかったけれど圧倒的な生き様を残した」という点だと思います。

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高山彦九郎の真骨頂といえば、この人間宣言でしょう。肩書きも名誉もなにもない。とにかく信じる道を生き抜いた。つまり〝突っ走った〟。そう、僕は〝松蔭〟の一件からも考え至るのですが、寅次郎があれほど〝突っ走る〟ことができたのは、この先人の影響なのではないかと思うのです。松下村塾の門下生が、あれほどの生き様を見せられたのは、きっと寅次郎を見ていたからでしょう。そういう意味では、高杉晋作伊藤博文がいたのも、もとを辿れば高山彦九郎がいたからとも言えるかもしれません。

風雲児たち』は幕末を描く大河漫画ですが、なぜ高山彦九郎が描かれているのか、ぼんやり読んでいたときは、気づかなかったのです。でも、その答えはきっと寅次郎という幕末のキーマンを生み出した源として描かれているのです。改めて『風雲児たち』の奥の深さに改めて恐れ入る次第だなぁと。

 

歴史の教科書には「薩長同盟締結」とか「日本初の総理大臣」といったその人物の功績ばかりが記されています。しかし、この功績録では見えない歴史があるんです。

「なぜこんなことができたのか?」

歴史を見ていてこんな不思議を感じたとき、きっとそこには生き様を残してきた人がいるんだろうなと感じています。少なくも吉田寅次郎を見るときには、この〝生き様を残した人〟という視点が欠かせないと僕は思っているのです。