おかべたかしの編集記

執筆・編集の記録とお知らせと。

「東西でネコの尻尾が違う」が「フルタチさん」で検証された話

『くらべる東西』で「東と西ではネコが違う」という話を紹介しました。

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 パッと見ただけだとわかりませんが、これ尻尾が違うんですね。「東のネコ」は、先端が曲がった「カギ尻尾」が多い。「西のネコ」は、尻尾がまっすぐが多い。この違いは「猫又(ねこまた)」という化け猫伝説に由来しているとされています。

猫又とは、尻尾が二つに分かれている化け猫で、尻尾が長い猫が長生きすると(20年以上といわれています)これに化けるとされていました。このため、この猫又伝説が強く信じられていた江戸では、尻尾がまっすぐなネコが忌避され、尻尾の短いネコや、尾が曲がっているネコが好んで飼われたというのです。この尻尾が曲がったネコというのは、もともと日本にはおらず、当時、日本と交易していたオランダ船が、航海の途上、ジャカルタで乗せたものとされています。

さて、こういう話だったのですが、本当に関東と関西で実数に違いが見られるのか、僕も数えたわけではありませんでした。

それが年末「フルタチさん」という番組のスタッフの方から、このネタを実際に調べてみたいと連絡があり、その放送が1月29日にあったのです。

まず、番組スタッフの方が、東京と大阪の公園などで、実際にネコを50匹ずつ観察した結果《関東の尾曲りネコ率=50匹中26匹/関西の尾曲りネコ率=50匹中7匹》という結果が出ました。

その上、全国の野良猫を6万7千匹も調べたという京都大学名誉教授・野澤謙さんのデータを引用。それによれば尾曲りネコの割合は《東京(23区)=40%/埼玉=51%/神奈川=45%》であるのに対して《大阪=27%/京都=18%/奈良=18%》という結果だったのです。

おぉ! このように関西のネコの尻尾はまっすぐが多く、関東のネコにはカギ尻尾(尾曲りネコ)が多いというのは、実数的にも正しいとわかったのです。

『くらべる東西』の中では「こういう話がある」というニュアンスで紹介していたのですが、今回「フルタチさん」によって、事実に近い話とわかり実に嬉しい。これから機会があれば、東西のネコの尻尾に注目してみてください。

くらべる東西

くらべる東西

 

もうすぐ発売『くらべる時代 昭和と平成』

新刊『くらべる時代 昭和と平成』、ようやく完成しました。

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くらべる時代: 昭和と平成

くらべる時代: 昭和と平成

 

僕は昭和47年生まれですが、昭和のことといえば、つい最近のことのようにも思えます。しかし、昭和から平成の間に、いろいろなものが変化しました。この本では、その変化を、昭和と平成の写真を見くらべることで感じ取ってみようという一冊です。

たとえば「ラムネ瓶」は、昭和の時代、すべてがガラスで出来ていましたが、平成になって飲み口や、そのすべてがプラスチックのものに変わっています。

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日傘も、白から黒に変わりましたよね。

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意外なところで、ボタンも変わっているのです。高価な洋服が売れた昭和の後期はボタンが大きかったのですが、平成になってボタンは全体的に薄く小さくなっています。

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花束も変わっています。花屋さんにご協力いただき、それぞれの時代の象徴的な花束を作ってもらったのですが、こんなにも違うんですね。

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このように今を生きる私たちが、つい見逃しがちな変化に注目しています。

コラムでは「公衆電話の使い方を知らない人が増えた」という話を書いてますが、ほんの一昔前まで当たり前だったことも「伝えようとしないと伝わっていかないんだな」と改めて感じました。

幅広い世代で昭和、平成について話し合う契機の一冊となれば嬉しいです。

来週の月曜日2月27日に配本なので、店頭は早くて28日、通常3月1日でしょうか。

なお、それに先駆けて池袋のジュンク堂本店の9Fでパネル展が今月18日の土曜日から開催されております。若干数の先行発売がありますので、お立ち寄りの際に、覗いてみてください(売り切れの際はご容赦くださいませ)。

というわけで「くらべる時代 昭和と平成」よろしくお願いします。

❇︎献本させていただいたビアガーデン仲間の和田さんが、素敵な紹介記事を書いてくださいました(ありがとうございます^^)本の概要、こちらでも感じてください。

あと、前作は、こちら。最近、テレビでここで紹介した東西のネコの違いが取り上げられ、ちょっとした反響でした。東西のネコ、尻尾が違うのです。

くらべる東西

くらべる東西

 

『スズメの謎』(2017読書6)

何気なく手に取ったこの本、素晴らしかったのでご紹介。

スズメの謎―身近な野鳥が減っている!?

スズメの謎―身近な野鳥が減っている!?

 

 今「わからないこと」に関心があるのです。といっても宇宙の果てとか、そりゃわからないだろうけどそんな縁遠い話よりも、もっと身近で素朴でわからないこと。調べてもお金になりそうもないから放っておかれているようなわからないこと。そんな「わからないこと」ないかなと手にとったこの本では、冒頭で鳥類の研究をしている三上修さんが「スズメが日本に何羽いるのかわからない」と書かれていて「なんと面白い!」と感動しました。

この本は、三上さんがこの命題について、どうやって調べたのかが、とてもわかりやすく書かれています。スズメという身近な鳥の生態を知る面白さももちろん味わえますが、考えること、調べることの醍醐味が詰まった実に魅力的な一冊でした。

《科学というのは、世界を理解するためのものです。科学のすばらしいところは、難しくいうと現象を一般化できることです。もっと噛み砕いていえば、なるべく少ない情報で、世界を説明しようという試みだといってもいいかもしれません》

こんな一節など、科学、学ぶことに対する説明もわかりやすい。

なぜ三上さんがスズメを調べることにしたのかというこんな一節が感慨深かった。

《鳥の研究をもっと多くの人に楽しんでもらわないと「自分が食べていけなくなる」と思ったからです。最近の科学というのは、くわしくわかればわかるほど、その専門性が際立ってきます。そうすると、門外漢の人には何をやっているのかわからなくなってきます。それでも、医療のように人のために役立ったり、発明が産業につながったりする場合はよいのですが、そうでない研究分野は、衰退していくことが多いのです。芸術にしても、文化にしても、価値はあっても、一般の方に受け入れてもらわないと、その分野そのものが土台から崩れさってしまいます。ですから、一般の方にも鳥類学を楽しんでもらうことで、自分が生きていく道を少しでも書いたくしようとしたのです》

研究も「楽しんでもらう」という意識、大切ですよね。ふむ。

『オーロラの向こうに』(2017読書5)

写真絵本のようなものを、いつかやってみたいと思っていてよく手にするのですが、これは実にいい作品でした。

オーロラの向こうに

オーロラの向こうに

 

 作者は松本紀生さん。アラスカのマッキンリーの麓に、オーロラの写真を撮るために、単独で彼の地にキャンプを張って1カ月以上過ごしているという人。もう10何年もこういった活動をされている松本さんが、初めてアラスカで生活した記録が、この絵本の幹。きれいなオーロラを見せるというよりも、なぜ松本さんがこんな挑戦をしようと思ったのか。アラスカでのキャンプ生活はどういったものかを見せてくれる。感慨深いのは、この最初のアラスカの旅ではオーロラは結局、現れなかったのです。でも、松本さんは「やりたいことに精一杯取り組んだから、最高の気分だった」と振り返る。

とても勇気が出る本です。子供向けだから読み聞かせにもぜひどうぞ。うちの10歳の息子がいたく感動していました。夏と冬はアラスカに行っている松本さんですが、それ以外のシーズンは講演活動をしているので、小学校などにきてもらってもいいんじゃないでしょうか(もちろんお金の応援という意味も込めて)。

僕、なんか見たことあるなーと思っていたのですが、そうか「情熱大陸」で放送されていたのか。改めて見たけどこちらもよかったです。


情熱大陸 松本紀生 2014年3月23日 140323

『百年の誤読』(2017読書4)

1900年から2000年までの100年間のベストセラーをご両人が読み、思う存分、言い合うという本書。対談で読みやすいうえ、勉強にもなるしで実に楽しかったです。

百年の誤読 (ちくま文庫)

百年の誤読 (ちくま文庫)

 

 近代の「なんでこれがベストセラー?」というツッコミも妙味ありますが、1900年代前半のベストセラーの時代背景とか興味深い。《古典の換骨奪胎のお手本、『羅生門』》といった見出し力も一流。手軽にパラパラとも読めるので「トイレ本」としても重宝しました。以下、本書で知った読んでみたい作品をメモがわりに記録。

赤頭巾ちゃん気をつけて (中公文庫)

赤頭巾ちゃん気をつけて (中公文庫)

 
日本人とユダヤ人 (角川文庫ソフィア)

日本人とユダヤ人 (角川文庫ソフィア)

 
新装版 限りなく透明に近いブルー (講談社文庫)

新装版 限りなく透明に近いブルー (講談社文庫)

 
細雪 (中公文庫)

細雪 (中公文庫)

 
冥途―内田百けん集成〈3〉   ちくま文庫

冥途―内田百けん集成〈3〉 ちくま文庫

 

ちなみにこの本、amazonでは文庫しか出てきませんでしたが、2004年初版の単行本の装丁が実にいい。これ「百年の孤独」(という焼酎があるのですが)のパロディですよね?きっとね? 装丁、南伸坊さんかー。「なんかシンプルだけどいいな!」という装丁に出会うと、個人的に南伸坊さんの確率高いのです。僕。

『本屋、はじめました』(2017読書3)

2016年1月10日、荻窪にできた「新刊書店 Title」の辻山さんによる開店までの記録。

本屋、はじめました―新刊書店Title開業の記録

本屋、はじめました―新刊書店Title開業の記録

 

 共感するところが多く、とくにこの部分をぜひ多くの人に読んでほしいと思いました。

《<最近思うことは「切実な本」こそ売れているという事です。「真面目な本」と言ってもいいかもしれません。著者が書くしかなかった、自らの底と向き合い、編集者がその想いを汲み取るしかるべき形で包み、それを丁寧な販促で伝えていく。マーケティングの発想からは、そうした本は生まれない。>
マーケティングから売れる本の何が良くないかと言えば、必ず違う似たような本に取って変わられるからです。言ってみれば「替えがきく」という事なので。本は、元は一冊一冊「替えがきかない」はず。替えがきかない「切実な本」にこそ、人の興味はあると思います。>》

これは辻山さんがツイッターに投稿した一文なのですが、この「替えがきかない本」というのが、Titleという書店の特徴を言い表していると思います。

僕は今、本を書いて生活しているので、書店にはよく行きます。企画のための「インプットの場」であるし、大好きな「落ち着く場」であるし、何よりも自分が作った本が売られている「晴れの場」であるし。当然、初めての書店に行けば、自分の本がどこにあるのか探すわけですが、このときいろんなパターンがあります。
そりゃ、平台にドーン!と何面にも置いてあるというのがいちばん嬉しいですが、ま、これはお祭りのようなもの。ジャンルのコーナーに、5冊ほど平積みになっていれば、担当の方が推してくださっているのかなと、嬉しい想いですけど、棚に1冊だと通常がっかりします。でも、棚に1冊入っているだけでも嬉しい書店というのがあるのです。それは、書店の方が、丁寧に一冊、一冊選んで売っていることがわかる棚の店です。まさに、たった1冊でさえ「替えがきかない」本を売っているお店です。このTitleにきたとき、丁寧な棚だな。そして好きな本が多いなと、感じました。
この「好きな感じ」とは抽象的なのですが、今回この本を読んで、僕が好きな理由がなんとなくわかったのです。

《店主が厳選した品揃えを提案する、いわゆる「セレクト書店」というものにも抵抗がありました。自分も客として、さまざまな「セレクト書店」に足を運びましたが、特に最近ではその品ぞろえが似てくる傾向にあり、新しい店なのだけれど既視感が強い店が増えてきたように思います。》

そうなんですよね。僕も同じように感じてて、辻山さんも挙げていた《武田百合子高山なおみ松浦弥太郎》といった方々の本を見かける書店が多くなった。個人的には『父の詫び状』(向田邦子)をよく見かけて「ここも詫び状系なんだなぁ」と思っていたのです。もちろん、こういった本が悪いのではないのですが、こういった本を選ぶと「わかった感じが演出できる」という空気があったように感じていました。

そんな想いがあったときに出会ったTitleの棚は、そういったセレクト系とも異なっていました。選んだ人が浮かび上がるような棚でまさに「替えがきかない」1冊で構成されているのですが、懐かしい町の本屋のような感じもする。頑張ってるけど、頑張りすぎていないというか。そんな空気が、とても気に入りました。

それから折々、ふらっとTitleに足を運ぶようになりました。最寄りの荻窪駅から歩くと10分少し。決して利便のいい場所ではありませんが、この「わざわざ行く感じ」も好き。僕は、企画を考えに行くことが多いので、道中あれこれ考え、Titleの書棚を見ながらあれこれ考え、最後は併設のカフェで書き物をして帰ります。Titleでは著者イベントもやっているのですが、一度、ふらっと覗きに行ったら、別の好きな書店の方にばったりお会いして、イベント後、終電ギリギリまで飲んだこともあったっけ。なんかいい空気があるのです。

この本、「お店を始める人のための本」という側面もあるでしょうが、僕は小さくても「替えがきかない」存在であろうとする人におすすめしたいな。僕もこれからも「替えのきかない本」を作っていこうと改めて思えたのです。がんばろう。

❇︎ちなみに僕が今好きな他の書店は、東京だと神保町の「東京堂」と、新宿の「STORY STORY」と、京王線・柴崎の「手紙社」です。どちらもカフェ併設で本を買ったあと、読んだり書き物ができるのがいいですね。京都だと「丸善本店」。京都マルイの「フタバプラス」も好きでしたが、今月で閉店するようですね。

『もし京都が東京だったらマップ』(2017読書2)

今年の2冊目はこちら。

もし京都が東京だったらマップ (イースト新書Q)

もし京都が東京だったらマップ (イースト新書Q)

 

 年末、京都に帰省した折、大好きな四条河原町の「FUTABA+京都マルイ店」で買ったもの。タイトル通り「もし京都が東京だとしたら」という仮定のもと、「赤羽は四条大宮」「岡崎は上野」などと特徴が共通する町を紹介することを核とした本です。

 本を見たとき、ネットの集合知によって作られた「ネタ本」かなという軽い気持ちで手にとったのですが、いい意味で裏切られた佳作でした。最近、読んだ京都本のなかで一番のオススメです。

 まず、この著者である岸本さんの立ち位置がいい。彼女は、京都出身で、幼少の頃から建築の仕事がしたいと夢見て、不動産業界に就職。当初、東京で働いていたのですが、京都に戻ってきて、京都に移住したいと考える人への不動産提案や、京都にある不動産の有効活用をガイドする、フリーの不動産屋さんなのです。そんな岸本さんが東京から来た人に「京都の北山というのは、東京の青山のようなところですよ」と説明するために「もし京都が東京だったらマップ」を作り始めたのです。

 こういった動機で作られた地図は、よくできています。僕は、京都で18年過ごした後、東京で25年以上過ごしてますが、なかなかうまいと思う。

「烏丸=丸の内」というのは、誰でも思い浮かぶでしょうが、「北王路=二子玉川」「御所南=目白」とか、たしかになぁと。「北野天満宮周辺=松陰神社前」って、鋭いのですが、このセンス、どれだけの人に伝わるでしょうか。僕は、この二つの町に近いところに住んでいる(いた)ので、よくわかりますがこれも上手(松陰神社前ってここ数年で、面白い個人店が増えた楽しい町になったのです)。「叡山電鉄沿線=JR中央線沿線」などは「えー! そう? まぁそうか。そうだなぁ」という4段落ちのような納得感。沿線の広さ、長さなど比べるべくもないですが、一乗寺あたりの空気感って、たしかに西荻窪あたりに似てますよねぇ。「池袋と鴨川だけは、どことも似てなかった」というのも、すごく納得。池袋は、他にない磁場があるのです。

 このように「そう?」とか「そうそう!」で、楽しみながらも京都の街の特徴がなんとなく理解できるのもこの「マップ」の良いところ。

 そのほかにも、京都は手づくり市が豊富にあって実店舗を持たずとも、商売のトライができるフリーランスに優しい街など、たしかにと思う指摘が豊富。京都の寺社、仏閣などの観光ガイドからは得られない「住む」を意識した京都ガイド。これから京都に住もうと考えている人にはもちろん、ぶらぶら京都を歩きたい人にもオススメですよ。