おかべたかしの編集記

執筆・編集の記録とお知らせと。

「目でみる方言」イベントはみんなが主役になれる

3月22日に新刊『目でみる方言』のイベントを経堂の「さばのゆ」さんで開催しました。

素敵な方に来ていただき、その方々がみんな出身地がちがって、いろんな話で盛り上がったいい夜でした。経堂経済新聞さんが、記事にしてくださいました。感謝。  

「目でみる方言」地元で出版イベント

この記事にも書いてもらいましたが、方言ってどの地域の人も主役になれるのがいいなーと。みんなちがってみんなよくて、みんな楽しい。

改めて方言の面白さ、楽しさを感じられた一夜でした。

本はこちら。おかげさまで大変喜んでもらっておりまして頑張った甲斐がありました。

 

新しく東京で暮らす人のための「東京歴史&地理講座」

今日、3月10日は、東京大空襲があった日です。

写真は、墨田区横網にある「東京都慰霊堂」。空襲や関東大震災などで亡くなった方が祀られています。建物の設計は伊東忠太。中は荘厳で、震災や空襲のことも学べます。東京を代表する建築物のひとつではないでしょうか。

とはいえ、どれだけの人が行ったことがあるでしょう。という僕も昨年に出した『見つける東京』という本の撮影のときに初めて行ったのです。

思ったほどに、東京に住む人は、東京のことを知りません。

とくに僕などそうなのですが、大学進学や就職で東京に出てきた人って、東京の歴史や地理を習う機会がないんですよね。うちの子どもたちは、東京の学校に行ったから玉川上水や東京の空襲のことなど学校で郷土史として習う。でも地方から来た人ってそういう機会がない。地下鉄路線図や、おいしい店は自分でなんとか調べて覚えますが、それ以外は学ぶ機会がないし、学んでどうする?という感じではないでしょうか。

でも、東京を学ぶと楽しいんですよ。そういうことだったのかという発見がたくさんある。

写真は北区にある岩淵水門。ここは、東京を語る上でとても重要な場所なのですが、その意味がわかりますか?

東京の東の方を流れている川といえば、隅田川と荒川。隅田川は観光船も走り、雷門の近くも流れているので、みなさんご存知。荒川は電車の鉄橋が通っているので、そこから見ることが多いですかね。とにかく大きな川。

でも昔は「隅田川が荒川」だったんですよ。

って聞いて意味がわかるかどうかは、東京のことを少し学んだかどうか。

隅田川は、その昔は、雨がたくさん降ると溢れ出して、流域に大きな被害を出していた。そこで、荒川放水路という川を開削して、そこに水を流すようにした。そして大雨などのときは、この岩淵水門を閉めることで、隅田川の流量を調節して東京の街区流域を守っているんですね。荒川放水路は次第に「荒川」になり、昔、隅田川とも「荒れるから」という理由で「荒川」とも言われた隅田川は、隅田川という呼称になったのです。

写真は「見つける東京」より、神田明神の東側にある「明神男坂」。実際に現地に行けばわかりますが、このあたりを境としてすごく高低差がある。ここが武蔵野台地の境と言われるのですが、東京の「下町」ってこういう地形的なところから生まれたのだなとわかるのです。

このようにちょっと勉強すると、東京のことがパッと開ける感じでわかります。神田須田町に鳥すきの「ぼたん」とかあんこう鍋の「いせ源」なんて店が残っていますが、あれは奇跡的に空襲を逃れたからなんだなと、知ってから行くと実に感慨深いです。

知ると楽しくなる「東京の地理と歴史」はまだまだたくさんあるのでぜひ一度勉強してみてください。テキストにはこちら「見つける東京」をどうぞ。

こんな話たくさんできるので、自治体のセミナーなどあればお声かけください。ほんと知ってるとわかる東京はたくさんあるのです。

ロバと旅する太郎丸さんインタビュー

原稿を担当しましたロバと一緒にモロッコやトルコ、イランを旅する「太郎丸 」こと高田晃太郎さんのインタビューが文春オンラインで公開されたので、ぜひご覧ください。面白いですよ。
ロバってどういう動物?ってところからモロッコやトルコなど旅をした場所の魅力。これからの目標とする「日本をロバと旅する」ってどうやってやるの?まで知らない話が満載。
新聞社に勤めていたけれど、ロバと旅をするからと退社したのが26歳のとき。なぜ26歳かといえば、沢木耕太郎さんが『深夜特急』で旅立ったときが26歳のときだから。僕も学生の時に夢中で読んだ『深夜特急』はまだ生きているんだなと感慨深かったです。太郎丸さんが印象深かったという一節が今の時代だからこそとりわけ際立って見えます。

《人のためにもならず、学問の進歩に役立つわけでもなく、真実をきわめることもなく、記録を作るためのものでもなく、血湧き肉躍る冒険大活劇でもなく、まるで何の意味もなく、誰にでも可能で、しかし、およそ酔狂な奴でなくてはしそうにないことを、やりたかったのだ》

パート3の文末にも書いたのですが、取材が終わってから、もう少し太郎丸さんと話がしたく麹町の文藝春秋を一緒に辞した。それで地下鉄の駅まで来た時「東京駅からここまでどうやってきましたか?」と、地下鉄の何線に乗ってという意味で聞いたら、さも当然のように「歩いてきました」と言われたのが実に痛快で映画のワンシーンのようでした。

生きづらい世の中ですが、今の時代に「こんな風に生きてもいいよ」と言ってるような気もする。いい話です。ぜひご覧ください。 

bunshun.jp

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「18世紀は何年から何年?」を迷わず答える方法

きっと「18世紀は、何年から何年?」って聞かれてパッと答えられる人のほうが少ないと思うんですよ。これなんかコツがないかなと思って調べていたら、こんな素敵な方法を知ったので、わかりやすくした解説を置いておきます。ぜひこれで「何世紀問題」に強くなってください。うちの娘もマスターしました。
《世紀が何年かの覚え方》
◎1世紀を100円玉1枚と考える。手持ちは100円玉だけ。
◎10世紀は100円玉10枚で支払える範囲。
 ◎つまり901年〜1000年まで。
→900年は100円玉9枚で払えてしまう。
→1001年は、1円足りない。
◎18世紀は?
→つまり100円玉18枚で払える範囲。
◎1701年〜1800年まで。
以上!
このように「あやふやに覚えていること」とか「あやふやに覚えていたけど、こんな方法を知って解決した」ってものがあれば教えてください。たくさん集まったら本にしよう。僕は「御中」の「御」の字の真ん中の下の方がずっとあやふやで適当に誤魔化して書いています。なんか今でも自信がもてない。関東の人は、鳥取と島根の位置があやふやだと言いますね。京都生まれはそんなの全然間違えようがないけど、群馬と栃木は自信ないかもしれません。

『目でみる方言』見本到着

ライフワーク『目でみることば』シリーズも第18弾となりました。今回のテーマは方言です。

カバーは、鉛筆が尖っている様ですが、京都出身の僕からすれば「ぴんぴん」にしか見えません。しかし、これにもいろいろ方言があって、三重県は「ちょんちょん」石川県は「けんけん」富山県は「つくつく」そして、愛知県では「ときんときん」。もっとたくさんあるはずなんですが、きっと愛知県の人と「ときんときんでしょ!」という熱量がいちばん高いはずなのでぜひいろんな地域の人が集ったときは「これなんていう?」と聞いてみてください。これが楽しい。

このように、この一冊を多くの出身地の人が集うところ、それこそ学生会館とか、温泉のロビ―なんかに置いてもらって、いろんな出身地の人が「ほんまに?」「そっちはそんな言い方?」とか言い合ってもらえたらなと思って作りました。

この本では、できるだけ今でも使うことばを写真と共に紹介しています。この「今でも使っている」というのは「方言だと思わなかった」につながることが多いのですが、その最たるものが宮城県や東北、北海道一帯で使われる「うるかす」でしょう。

使った食器などを水につけておくことを意味しますが、こうすることであとで洗いやすくなるわけですね。「お茶碗、うるかしておいて」と伝えるわけですが「うるかす?」と、関東より西の人は思うのではないでしょうか。実は僕も知らなかった。でも東北以北の人は、うるかすって方言?って驚くわけです。でもこのことばすごく便利なので、方言にしておくのはもったいないですよね。

あとこんなことばも。これは長野県。花にみずを「あげる」ことを「くれる」と言います。学校で花にみずをあげる係は「水くれ当番」です。

これは山口県。「届かない」という意味ですね。

こういった方言を写真で解説しつつ、いろんなことばにまつわるコラムを収録しています。

これはデザイナーのサトウミユキさんが表4に描いてくれたイラストですが、この食べ物のこととかも書いています。

きっと夏休みの自由研究のヒントもたくさん詰まっているので、学校などでもぜひご覧ください。

アマゾンありますが、よかったらお近くの本屋さんで予約してもらったら嬉しいです。

発売3月10日かな。また情報、いろいろアップしていきます。

#あしたの東京プロジェクト で行く伊豆大島の旅

「あしたの東京プロジェクト」という東京都が主催する「東京の新しい魅力を発見する」をテーマにしたコンテンツがあります。ここが主催する伊豆大島のツアーがあり妻が応募したところ当選したので、家族4人で行ってきました。

ツアーは2日間の予定ですが、出発が早朝のコースを選択したので、前日入り。島の南部にある波浮港に宿を取り南下、途中バームクーヘンの愛称のある断層を見学。夕日に照らされて美しい。

波浮港。今は静かな漁港ですが、往時は、漁船で大賑わいだったとか。「伊豆の踊子」の踊り子たちの出身地としても知られています。

宿はこちらの「近(コン」さん。一棟、家族使用できてとても快適でした。おすすめ。

近くの港寿司で、名物「べっこう寿司」をいただきました。

波浮港の近くにある「鉄砲台」と呼ばれるところは、見晴らしの良さもあって、戦時中は軍の施設が置かれたところだとか。

さて、「あしたの東京プロジェクト」は翌日、元町港に集合してスタート。まずは三原山の周囲に広がる裏砂漠を歩きます。火山でできたこの類のない景色を最後までいろんな角度で見ることができます。

三原山の山頂付近にめがけて歩く歩く。

そうすると火山岩由来のこういった黒い砂地に出る。

天候もよく絶景でした。同じ「東京」にこんな景色があるなんて想像もしなかったな。

さてプログラム第二弾は、島の特産品である「椿油」絞り体験。島の気候に合った椿の花が島のあちこちにあり、この種から油を絞り取ります。

堅い実を杵などで潰したのち、ふるいにかけていきます。その後、蒸して絞って完成。お土産に油をいただき、またパプリカの油炒めなんかもいただきました。娘がすごくこの体験を喜んでいました。

そして夜には、星空体験ツアー。大きなビニールシートを敷いてその上に寝転がり、周りに街灯がまったくない場所で星空を見る。こちらも得難い体験でした。

そして翌日は朝から島のあちこちを自転車で回るサイクリング。

ガイドさんが秀逸で、火山島ゆえの面白い地形を楽しく説明してくれます。写真は溶岩でできた桟橋。

水蒸気爆発によって赤く変色した岩。

波で侵食した独特の地形。火山の島ということで、危ないところに住んでいるというイメージもありますが、この火山を信仰することで、火山と共に生きてきた島という新たな認識ができました。火山とともに暮らす。その感覚は、この独特の地形や文化を知ると、すっと腑に落ちるんですよね。最後の噴火が1986年と34年前のこと。40周年ほどの周期で噴火を繰り返す三原山ですから、もういつ噴火してもおかしくないのだとか。ただ、死ぬまでにもう一度噴火を見ておきたいと思うお年寄りもいると聞きました。でもその感覚、この自然を眺めているとなんかわかるな。

牧場もあってソフトクリームなどいただきました。

学びの多いよい旅でした。

この旅の影の主役がこの高速ジェット船。家人が船酔いするからとこれまで島旅を敬遠してきましたが、水の上に浮かんで高速で進むこの船には、いわゆる波に漂うといった揺れが存在せず、船酔いがほとんどない。家族もみんな酔わなかったと言っていて、島に行くハードルがぐんと下がりました。2時間ほどで伊豆大島に着くのですから、またぜひこの船に乗って家族で島に行きたいなと思った次第。やっぱり旅ってこうやって何かを知ることが、面白さなんだなと感じたよき時間でした。「あしたの東京プロジェクト」に感謝。また応募して行ってみたいと思います。

*2年前に出した「見つける東京」では島に関するところはあまり触れられなかったんだよなー。まだまだ「見つける東京」の旅は続きそうです。