おかべたかしの編集記

執筆・編集の記録とお知らせと。

新しく東京で暮らす人のための「東京歴史&地理講座」

今日、3月10日は、東京大空襲があった日です。

写真は、墨田区横網にある「東京都慰霊堂」。空襲や関東大震災などで亡くなった方が祀られています。建物の設計は伊東忠太。中は荘厳で、震災や空襲のことも学べます。東京を代表する建築物のひとつではないでしょうか。

とはいえ、どれだけの人が行ったことがあるでしょう。という僕も昨年に出した『見つける東京』という本の撮影のときに初めて行ったのです。

思ったほどに、東京に住む人は、東京のことを知りません。

とくに僕などそうなのですが、大学進学や就職で東京に出てきた人って、東京の歴史や地理を習う機会がないんですよね。うちの子どもたちは、東京の学校に行ったから玉川上水や東京の空襲のことなど学校で郷土史として習う。でも地方から来た人ってそういう機会がない。地下鉄路線図や、おいしい店は自分でなんとか調べて覚えますが、それ以外は学ぶ機会がないし、学んでどうする?という感じではないでしょうか。

でも、東京を学ぶと楽しいんですよ。そういうことだったのかという発見がたくさんある。

写真は北区にある岩淵水門。ここは、東京を語る上でとても重要な場所なのですが、その意味がわかりますか?

東京の東の方を流れている川といえば、隅田川と荒川。隅田川は観光船も走り、雷門の近くも流れているので、みなさんご存知。荒川は電車の鉄橋が通っているので、そこから見ることが多いですかね。とにかく大きな川。

でも昔は「隅田川が荒川」だったんですよ。

って聞いて意味がわかるかどうかは、東京のことを少し学んだかどうか。

隅田川は、その昔は、雨がたくさん降ると溢れ出して、流域に大きな被害を出していた。そこで、荒川放水路という川を開削して、そこに水を流すようにした。そして大雨などのときは、この岩淵水門を閉めることで、隅田川の流量を調節して東京の街区流域を守っているんですね。荒川放水路は次第に「荒川」になり、昔、隅田川とも「荒れるから」という理由で「荒川」とも言われた隅田川は、隅田川という呼称になったのです。

写真は「見つける東京」より、神田明神の東側にある「明神男坂」。実際に現地に行けばわかりますが、このあたりを境としてすごく高低差がある。ここが武蔵野台地の境と言われるのですが、東京の「下町」ってこういう地形的なところから生まれたのだなとわかるのです。

このようにちょっと勉強すると、東京のことがパッと開ける感じでわかります。神田須田町に鳥すきの「ぼたん」とかあんこう鍋の「いせ源」なんて店が残っていますが、あれは奇跡的に空襲を逃れたからなんだなと、知ってから行くと実に感慨深いです。

知ると楽しくなる「東京の地理と歴史」はまだまだたくさんあるのでぜひ一度勉強してみてください。テキストにはこちら「見つける東京」をどうぞ。

こんな話たくさんできるので、自治体のセミナーなどあればお声かけください。ほんと知ってるとわかる東京はたくさんあるのです。